子どもが育つ魔法の言葉

 アメリカ 南カリフォルニア家庭教育コンサルタントを勤めている
 
ドロシー・ロー・ノルト博士は、こんな言葉を投げ掛けています。

 “子は親の鏡”

 ・けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる 

 ・トゲトゲした家庭で育つと、子どもは乱暴になる 

 ・不安な気持ちで育つと、子どもも不安になる

 ・「可愛そうな子だ」といって育てると、子どもは惨めな気持ちになる

 親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。

 ・叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう。 
 
 ・励ましてあげれば、子供は自信を持つようになる

 ・広い心で接すれば、キレる子にはならない

 ・誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

 ・愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ

 ・認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる 

 ・見つめてあげれば、子どもは頑張りやになる 

 ・分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

 ・親が正直であれば、子どもは正直であることの大切さを知る

 子どもに公平であれば、子どもは正義感のある子に育つ

 優しく、思いやりをもって育てれば、子どもは優しく育つ

 ・守ってあげれば、子どもは強い子に育つ

 ・和気あいあいとした家庭で育てば、子どもはこの世の中はいいところだと思えるようになる           


昔からよく子育てにあたり『三つ子の魂百まで』『子は親の鏡』『子は親の後姿を見て育つ』等と言われてきました。
しかしながら、今日の子どもたちの行動は毎日のように新聞紙上をにぎわすなど目を見張るものがあります。
今日、幼児たちの行動を見ても、その兆候を見ることがあります。
例えば、何かしようとすると「僕やりたくないもん」と集団から離れてしまう。
先生に「だっこされたい」と先を争う。
「やりたくないからやらない」と自分勝手に絵を描いたり好きなことをやろうとする。
すぐ手足が出る、自由にならないと切れてしまう、他とのコミュニケーションをさけたり、
時には子どもらしさに欠けるなどの光景が見られます。


再度、考えてみてほしいと思います。

『子は親の鏡』で言われていることは易しそうで難しいことです。
説明して理解させることではなく、日々生活の中で行動を通して
育てていくものだからでしょう。
                          

サハリンの遊牧民の子育てに「子どもは神から授かった宝である。」と言われ『宝』は大切にされる。
甘やかしでなく、厳しく、優しく育てられ、子どもが一人前になるまで大切に育てられるそうです。

私たちが育てられたころ、子どもが生まれると『神から授かった』などとサハリンの遊牧民と同じような育てられかたをされたように思います。
これは親だけでなく子どもを取り巻く環境そのものが『神から授かった』と言われ『宝』のように子どもの人格を認められていたのではないでしょうか。
今日、子どもが生まれてもあまり『神から授かった』などと聞かれないのは子どもを物のように扱われ、子どもの尊厳が失われてきたからではないでしょうか。

『神から授かった』と言わなくても親の心がけ次第で
(例えば一人で悩むのではなく家族みんなで取り組めば無理なくできる)
順応の早い感性の豊かな子どもたちは、ノートル博士の言われているような
『子は親の鏡』となって表れ心配することはないと確信しています。」